水かけ祭り(Thingyan Festival)

 今年は4月12日(日)から水かけ祭り(Thingyan Festival)が始まった。会社やお役所がお休みになるのは勿論のこと、一般の商店、レストラン、コンビニからスーパーマーケットに至るほとんど全ての店もシャッターを硬く閉ざし、長い休暇に入った。16日(木)まで5日間続く水かけ祭りの後は、17日(金)のお正月から22日(火)まで、連続した新年の休暇が延々と続く。せめてコンビニエンスストアだけでも営業を続けてくれれば助かるのだが、単身赴任者にとっては日々の食料調達に四苦八苦する羽目に陥る。日本では元旦から営業している店も多く、食料の調達には何の不便も感じなかった、そのことが災いし、店が閉まるヤンゴンでの正月の過ごし方への心の準備を怠っていた。
 いつもの如く、家を出て、いつもの買い物コースに向かって歩き始めたところ、いきなり小学生とおぼしき女の子から洗面器一杯の水をぶっかけられて驚いたが、これも心の準備が出来ていなかった「水かけ祭り」の洗礼だったのだ、と後になって納得した。周囲を見回すと、街角のあちこちで水を掛けるために大きなバケツのそばに立っている大人や子供達と、甘んじて水を掛けられている歩行者達がいた。よくよく見れば、ずぶぬれになって歩いている人が殆どだった。私は食料品を求め乍ら歩いている間に3回程水を掛けられ、ずぶぬれになったが、休日返上で青果や魚肉を売っていた露店のおばちゃんから、無事食材を手に入れることが出来た。スーパーのある大通りに出てみると、車の行き来する道路は一面水浸しとなっていた。


<スーパーマーケットSein Gay Har 前の路上での水掛け祭りの様子>

 道路の手前側では、2人の若い女性が、青い大きなバケツから水をくみ出しては、小型トラックの荷台に乗った人々に投げつけるように水を掛けているし、道路を挟んだ向こう側では、何本ものホースを使って通行人を狙って勢いよく放水していた。まるで火事場での消火活動の様相であった。私は買い出しを終えると、改めて水祭り用の舞台が設えられているインヤー湖沿いのピー通りに行ってみることにした。家から歩いて15分位のところに設営されている舞台に向かったが、途中の広い道路は多くの若者を乗せた小型トラックで溢れ、身動きが取れない状況であった。それぞれの小型トラックの荷台には、15~20人程の若者や子供が乗っており、中には大きなバケツを積んだトラックもあった。勿論の如く、彼らは頭の先から足の先までグッショリと濡れており、祭りを心からエンジョイしている様子であった。気温が40度近くまで上がっているこの時期は、濡れている方が気持ちいいのかもしれない。


<ピー通りを水かけ祭りの舞台へ向かう人と車の混雑の様子>

 歩行者も小型トラックも水かけ祭りの舞台に向かっているようであった。遠くの舞台からはラップミュージックのような激しいリズムの音楽が聞え、いやが応でも若者の心を躍動させる雰囲気に包まれていた。
 水かけ祭りは1年の厄を水で洗い流すための祭りと言うが、彼らは果たして厄払いをしようとの想いで祭りの場に臨んでいるのだろうか?舞台の設営所まで、インヤー湖沿いの公園内を歩いたが、多くの若者のグループや家族連れが車座になり、まるで日本の花見のような雰囲気で飲食を楽しんでいた。特に目に付いたのはビール瓶の山で、日ごろアルコールをあまり口にしないと言われているミャンマー人の多くが、ビールを飲み、空になった瓶を脇に並べてドンチャン騒ぎに興じていた。どうみても厄落としではなく、うさ晴らしの様相である。舞台の上には多くの人達が上り、それぞれがホースを構え、道路に向けて勢いよく水を掛けていた。


<ピー通り沿いの水かけ祭りの舞台>

 車上や路上の人々は水を浴び乍ら早いリズムに合わせ、我を忘れて踊っていた。
 しばらく眺めている内に、さてこれだけ大量の水はどこから供給されるのだろうとの素朴な疑問が湧いた。朝から晩まで、4日も5日も撒き続けるのだから水の需要も半端ではない筈だ。そして、ある日系現地法人の社長が言ったことを思い出した。「赴任して初めての水かけ祭りに参加したが、被った水が原因で体調を崩し、散々な目に逢ったので、以降、水祭りの期間はミャンマーから逃れ、他のアジアの国で休暇を楽しむことにしている。」ということは、人々の厄を洗い流すと言われているこれらの大量の水は、かなり衛生状態の悪い水に違いない。そんなことを考えながらインヤー湖の土手に沿って帰路についたら、やがて湖の前方の岸辺から大きなエンジン音が聞こえてきた。水を組み上げるポンプを動かしているエンジンの響きであった。矢張り舞台から撒いていた水はインヤー湖の水だったのだ。お世辞にもきれいとは言えないインヤー湖の水をたっぷりかぶれば身体に良い訳はない。日本人社長が体調を崩したのも頷ける話だと納得した次第である。然し一方、このきれいではない水のインヤー湖で泳いでいる若者もいたから驚きである。改めてミャンマー人の逞しさを感じた。水祭りが始まって3日目の事だったので、湖面は明らかにいつもより下がっていることが読み取れた。


<インヤー湖の水を組み上げるポンプと長いホース>

 2基のポンプが湖水を組み上げ、大きなホースでピー通りの反対側の舞台裏まで運んでいた。暑さを凌ぐためのタオルを被ったポンプ技師は、我関せずといった面持ちで、いつまでも湖面を眺めていた。
灼熱の炎天下の下でリズミカルな音楽に合わせて踊り狂いながら水を浴びる祭り。これはまさに若者達の日頃の品行方正な生活からの解放のための重要な行事であると思われる。彼らは物心ついた子供の頃から、仏の教えを親や兄弟に学び、得度をして僧としての生活体験まで行って、八正道を守る生き方を叩き込まれているとは言え、悟りの境地に達することの出来る聖人・君子はほんの一握りに過ぎないだろう。一般凡人は、日々精進しながら正しく生きる生活を継続しながらも、年に一度の解放感を心待ちにしているのではなかろうか?日常生活の中で接している若者とは丸で別人のようになって酒に酔い、踊りに酔う姿を眺めると、このように解釈してしまわざるをえない。
 会場を後にして家にたどり着いた後、TVをつけてミャンマー放送の番組にチャンネルを合わせたら、どの局も水祭りのライブ放送を延々と続けていた。TVに映し出された主要都市の舞台は、インヤー湖畔の舞台よりもはるかに立派な造りで、著名な歌手や選りすぐったダンサーたちが次々に舞台に立ち、歌や踊りを披露していた。この舞台の華やかな雰囲気は日本の大晦日を飾る紅白歌合戦さながらである。小型トラックで舞台の前まで繰り出している若者達とは別に、年配の人達はどうやら一家団欒でリビングに集まり水祭りのTV中継を楽しんでいるに違いない。年の瀬を迎え、正月料理をしっかり準備して長い正月休暇に入った各家庭の人々は、1日TVの前に集まって、美味しい料理やお茶菓子を囲みながら、美しい歌や踊りや音楽を楽しみながら新年を迎えるのであろう。


<首都ネピドーの水かけ祭りの舞台のTV中継の様子>

2015年の新年を迎えたミャンマーであるが、秋には大統領選挙が控えている。50年に渡って続いてきた民族紛争も収束に向かって大きく舵がきられたし、このまま更なる民主化の進展に向かって大きく前進することを期待したいところである。


2015年4月19日(日)
MyanmarDRK Co., Ltd. Managing Director
宮崎 敦夫