チャイティーヨーパゴダへの巡礼(その2)

 2014年1月1日(木)午前11時、チャイティーヨー山の麓の田舎町キンプンに到着した。我々は、予め確保されていたらしい食堂のテーブル席の部屋を通り抜けた奥の休憩所の座敷に上がり込んだ。そして、各ファミリー単位で車座になって座り、バスから持ち出した食料を各人に配膳し、昼食をとった。私が加えて貰った社員の家族のグループは、社員の86歳になる祖母を筆頭に、両親と6人の子供達、そしてその友人達6人、それに2人の叔母(母親の姉と妹)、3名の従兄達(下の叔母の子供達)、そして私を含めた総勢20人の集団であった。こうしたグループがいくつか集まって、全体で100人を超える集団を形成しての巡礼の旅であった。どちらかと言えば、貧しい暮らしを余儀なくされている人々の集団であり、食料から、衣類、寝具の一切をバスに積み込み、絵に描いたような倹約振りであったが、集団の構成員は非常に仲良く、笑顔に溢れ、和気あいあいとして、お互いがごく自然に助け合い、協力し合って行動する様子は、全員が巡礼の旅に心から幸せを感じている証であった。

<レストランの奥の休憩所>

<トラックバス乗り場>

 昼食と十分な休憩を取った後、我々は海抜1,100mのチャイティー山に登るべく、トラックバスに乗り込んだ。トラックバスの荷台には、8列からなる10cm程の細い座席と手すりがしつらえられており、1列に7人が座り、8列が隙間なく埋まるまで、係員が乗客をきめ細かくリードした。そして全席に56人が腰を下ろしたトラックバスから次々に山頂目指して出発した。トラックバスの乗り場には数十台のトラックバスが並び、1台が出発すると、すぐ空車のトラックバスが入って来ると言った具合であったから、巡礼者の数は想像をはるかに超える多さであったに違いない。
 トラックバスは猛烈な勢いで七曲りの急こう配の坂道を上っていった。急カーブでは遠心力で身体が大きく左右に振られ、手すりをしっかりつかんでいないと、振り飛ばされそうになる感覚を味わった。7合目程まで上ったところで一旦停車すると、いきなり運転席から若い男が乗客のいる荷台に登り、器用に縁伝いに歩きながら一列毎に料金の徴収を始めた。理解に苦しむシステムである。外国人は倍の料金だそうであるが、私はミャンマー人として扱われた。小一時間登った処で、山頂の目的地に到着した。山頂は南北に細長い台地が広がり、宿泊場所は中央に位置する広い境内を通り抜け、商店やレストラン街が広がる北側にあった。持参した全ての荷物は全員が手分けして持ち、宿泊施設を目指した。境内の入口では当然の如く履物を脱ぎ、石畳の広い境内を通過した。境内の広場は多数の信者で溢れ、既に敷物を敷いて休んでいる人達も少なくなかった。

境内に溢れる信者の集団境内を通り抜けた先の食堂街

 境内を通り抜け、石段を降りるとそこにはヤンゴン市内より垢抜けした商店街が広がっていた。この商店街の終点を左折した所に、巡礼者用の簡易宿泊所があった。瀬戸内海を走る関西汽船の2等船客を思わせる仕切りのないだだっ広い部屋で、中央の通路をはさんで、雑魚寝が出来る広間が左右に広がっていたが、ほとんど満席状態で、足の踏み場もない様子であった。一行は取り敢えず部屋の外の通路にゴザを敷き、毛布にくるまって休んだ。昨夜から殆ど睡眠をとらずにここまでやってきたのだ。
 私も当然皆と一緒にここで一夜を共にする積りでいたら、社員から「国のお達しで、外国人の宿泊が禁じられている。」と意外な事を聞かされた。「信心は足りないかも知れないけれど、俺だって立派な仏教徒だよ。」と言ってはみたものの、「万が一当局に外国人だとバレたら300ドルの罰金が科せられる。」とのこと。皆さんに迷惑をかけるのは不本意であることから、やむなく自分1人だけ集団から離れて、ホテルに泊まらざるを得なかった。

巡礼者のための宿泊所宿泊所の廊下で休憩するメンバー

チャイティーヨーの山波が夕やみに包まれる頃に、パコダへ参拝に出掛けた。

<夕闇が迫る山頂>

<金色に輝くチャイティーヨーパゴダ>

 つるべ落としで日が暮れると、金箔が貼られ、ライトアップされた巨大な岩は神々しいまでに輝いた。私は早速仲間と共に金箔を購入し、巨大な岩に近づき、心の中で願い事を念じながら、4枚の金箔を巨大な岩に慎重に張り付けた。折からの風で、金箔を包んでいた紙が、紙ふぶきのように宙に舞い照明の下できらきら輝きながら谷に消えていった。金箔の巨岩の周囲には柵が張り巡らされており、その柵の手前で多くの女性たちが土下座姿で巨岩に向かって一心不乱に祈りを捧げていた。女性や子供はこの岩に近づくことが禁じられているとのことであるが、これは当局のお達しではなく、パゴダが作られた2000年以上も前からの決め事のようであり、そのことに疑問を抱くどころか、ありがたい巨岩の近くにまで近づけたことへの感謝と喜びに溢れる表情の女性たちであった。巨岩を支える崖の数メートル下方の周囲には円形の観覧用通路が整備され、その通路に沿って、9000本の燭台が飾られローソクの炎が揺らめいていた。信者たちは夜の更けるのも忘れ、いつまでもパゴダの周囲で時を過ごしていた。折からパゴダの頭上に月が上った。

<月下のパゴダ>

<記念撮影>

 今夜は夜通し、パゴダの周りで時を過ごすというのが多くの巡礼者の習わしらしく、同行の若い仲間達から、我々と一緒に夜通し参拝しないかと誘われたが、私は翌日の滝行に備え、早めにホテルに帰りベッドに入った。時計は午前0時を回っていた。(続く)


2015年1月11日(日)
MyanmarDRK Co., Ltd. Managing Director
宮崎 敦夫